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【フォトストーリー】15年間夢見た舞台にたとえ手が届かなくても、早稲田でよかったと言える〈早稲田大学・伊藤幸太郎〉

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伊藤幸太郎(早稲田大学・4年)は15年間夢見た箱根駅伝を走ることができなかった。

彼のことを詳しく調べようと思ったのは2025年11月の上尾ハーフの走りを見てからだ。フィニッシュ手前で撮影をしていたのだが、必死さが伝わる走りで向かってきた。私は入学時の持ちタイムは突出していないことを把握していたのでタイムと順位に驚かされた。

上尾ハーフの走りをみて箱根駅伝も必ず出走すると目論んでいたのだが結果は補欠のままとなった。このレベルの選手が走れないのはありえない、彼の積み上げてきた競技人生に少しでも日が当たればよいと考え筆を走らせている。

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臙脂に憧れて小学1年生から夢見た舞台

競技歴は小学校1年生から。早稲田大学が三冠を成し遂げたのを見て、気づけばそのころから臙脂を目指すこととなる。小学生の頃から早稲田の部員日記をみるほど早稲田狂となっていた。元々、足は速い方ではなかったが、月日を重ねるごとに陸上競技にのめり込んでいき小学校6年生では学校のマラソン大会で優勝ができるほどになった。

そんな中で入学した中学校ではまさかの陸上部がなかった。陸上に対する熱量は簡単には収まらず、校長先生に陸上部の発足を打診しに行ったが作れず号泣したことが忘れられないという。やむなく美術部に所属しながら週3で地域の陸上クラブの練習に通い続けた。中学時代は目標としていた県大会は1秒届かず、1度も出場することができなかった。

高校は埼玉県の進学校の春日部高校に進学した。OBでは青木涼真(現:HONDA)が有名だ。3年間で関東高校駅伝への出場を目標にしたが、48年ぶりの出場をわずか2秒足りず逃した経験がある。

望み通りにはいかない中学・高校の競技生活だったが努力する人には良いことも訪れる。

補欠合格で一般入試で早稲田へ、入学時の5000m15分36秒

大学への進学はもちろん早稲田大学志望。一般入試で当初は補欠合格だったが、無事合格することができ臙脂のユニフォームで箱根路を駆ける切符を手に入れた。

しかしながらここからがスタートライン、苦労は絶えなかった。入学して2ヵ月初の5000mのレースは自己ベスト(*当初14分58秒66)からは程遠い15分36秒かかった。早稲田はスポーツ推薦など枠も少なく、スカウトにも苦労するが箱根を目指すうえでもこのタイムでは長くは所属していられない。この時には大きな危機感を覚えたと語っている。

2年次も思うように伸びない期間が続く。初のハーフマラソンは士別ハーフ。北海道の遠いところまできて遠征で挑んだがタイムは振るわず72分52秒。帰りの空港では当時のマネージャーにこのままではマネージャーへの転向を打診する可能性があることも伝えられた。

臙脂のユニフォームで箱根路を走る前に夢半ばになる可能性がある。ここがターニングポイントになったのかもしれない。

動き出す歯車、上尾ハーフで確定付けるチームトップの走り

2年の夏合宿を乗り越えると力がついてきた。夏合宿明けの5000mで2年ぶりに高校時代の自己ベストを20秒以上更新する14分24秒で走ることができた。

3年次も少しずつ力をつけていき、箱根メンバー争いに絡めるほどに練習も完璧に消化できる力もついてきた。この年は惜しくも箱根駅伝メンバーには入ることができなかったが、給水係として50m箱根路を走った。この時より一層、来年は選手として臙脂のユニフォームを着て箱根路を走ることを決心したと語る。

最終学年の4年次は春先のシーズンインからエキスポ駅伝や関東インカレのハーフを走り好調ともいえるスタートを切った。夏合宿明けの9月28日の早稲田記録会では暑さも残る中、ロードで13分57秒を叩き出した。駅伝シーズンに入っても好調な滑り出しをみせる。

ここまで伊藤は学生三大駅伝の出走はなし。11月の全日本駅伝では出走が見込めたが直前の胃腸炎により、6区区間変更で宮岡凜太の付き添いに周った。あと少しで届いた学生三大駅伝の出場をつかみ損ねた。その後は休養を経て11月16日の上尾ハーフに向かうわけだが、箱根駅伝のエントリーは12月10日に締め切られる。上尾ハーフは箱根駅伝エントリーの選考として設定している大学が多い。つまり、この上尾ハーフで外せば事実上の箱根への切符はなくなるに等しい。

そして、私が見たのはデッドオアアライブの走りだったわけだ。

結果はチームトップの62分12秒の自己ベスト、各大学主力選手が出てくる中で全体13位、当初早稲田歴代10位相当のこれ以上ない言うことなしの結果だった。そのため私は冒頭に述べたようにほぼ確実に箱根には出てくる選手だと確信していたし、臙脂の優勝に向けて必須になるピースだと考えていた。

箱根駅伝直前の悲劇

迎えた箱根駅伝当日、伊藤の名前は補員から消えることはなかった。これは部員日記で後に知ったのだが、箱根駅伝直前に疲労骨折をしたため出走ができなかったと知った。

15年間追いかけてきた夢はあと少しところで叶えることができなかったわけだが、臙脂に陸上競技に魅了されてここまでの努力を積み重ねた経験は絶対に無駄にはならない。これから早稲田で競技を志したい後の世代に必ず希望を与えてくれるはずだ。

伊藤は競技を大学で引退する。箱根が終わったあと大阪マラソンで引退レースとアナウンスがあった。悔しさが込み上げてこないわけもなく、悔しさを最後にぶつけるべく誰よりも練習をしている中で迎える予定だったが練習の過程でヘルニアを発症してしまい引退レースもDNSとなった。最後まで前途多難である。

しかしながら、彼の部員日記の中にはこう綴られていた。

「ただ、最後に一つだけ言えることは、これまでの競技人生、特に早稲田大学競走部で過ごしたこの4年間は、毎日全力で、最高のチームメートに恵まれ、本当に楽しかったです。」

15年間夢を見てきた舞台に立てなくてこの言葉で最後を締めくくれる選手が何人いるだろうか。本当に強い選手、人間は現実を受け入れ前に進むことができる人だ。競技は引退するが彼にとってはここからがスタートラインなのかもしれない。

  • 伊藤幸太郎
  • 加須市立加須東中ー春日部高校ー早稲田大学
  • 自己ベスト1500m:4分05秒93、3000m:8分35秒53、5000m:14分16秒44、10000m:29分44秒34、ハーフマラソン:1時間02分14秒、5km:13分57秒