4月末になり先月まで引退・退部・移籍情報の鳴りやまなかったのがやっと落ち着いてきました。その中で私なりに実業団システムと長距離アスリートが抱える課題が見えてきました。その抱える問題と私の見解を記事にまとめていきたいと思います。
最初にこの記事を拝読いただいている方に問うのですが、今年引退した短距離もしくはフィールド競技選手を1人でも挙げられますか?
おそらく、ほとんどの方が名前を挙げることができないと思います。その名前が挙がらない要因としては、単に引退している選手がいない、選手のことを知らないという問題ではありません。圧倒的に長距離の実業団選手の雇用母数が多く、短距離・フィールド選手の雇用が少ないためです。
下記の記事にまとめていますが、私の把握しているだけでこれだけの選手が引退・退部をしています。それだけ日本の長距離の実業団システムが選手の受け皿になっていることが分かります。
実業団の雇用システムは世界的に見ても珍しい
日本の実業団システムは世界的に見ても非常に珍しいシステムです。アメリカには日本のような「一般企業の部活動」はありませんが、ナイキやブルックスなどのスポーツブランドが運営するプロ専業チームがあります。
- 代表例:
- バウワーマン・トラック・クラブ (BTC): ナイキが支援するエリート集団。
- ハンソンズ・ブルックス: ブルックスが支援し、選手が共同生活を送るチーム。
- 違い: 選手は「社員」ではなく、ブランドと「プロ契約」を結んだ個人事業主の集まりです。ただし、コーチ、練習施設、住居、遠征費などがパッケージで提供されるため、環境面では実業団に近いです。
長距離実業団選手の雇用が多い理由
ではなぜ、短距離・フィールド選手よりも長距離選手の雇用が多いのでしょうか?
大きな要因として間違いなく「駅伝」の影響があります。 メディア露出の際や放映など、長距離種目は短距離よりも競技時間が長く映ります。そのため、社名の露出が多くなり広告効果が大きいためです。
2026年ニューイヤー駅伝でも話題になりましたが、GMOインターネットグループが初優勝で選手に報奨金1000万を支給したことや2026年東京マラソンでプレス工業の橋本龍一選手が飛び出してテレビ放映に映り続けたことが話題になりました。企業もアスリートに対してそれだけの対価を払う意識が出てきているということでもあります。
試合シーズンも長距離の方が年間と通して春先はトラック、冬は駅伝・マラソンが行われます。冬は短距離は試合がほとんどありません。
そのため大会の頻度も長距離の方が多くなります。短距離・フィールドは一番注目を集めるのは隔年で開催される世界陸上・五輪、あとは日本選手権でしょうか。長距離は加えて冬にもニューイヤ駅伝・マラソンがあります。
近年ではトラックよりも駅伝を重視する企業が増えており、代表例だとGMOは初期はトラックで世界を目指すことを目標にしていましたし、DeNAも開拓をトラックでは諦めた事例があります。あとはメイクスも世界で戦える選手の育成でしたが方針転換で廃部となっています。
アスリートとしての価値は?何を持って評価される?
では、アスリートとしての価値は何をもって定義できるか?年収・給与の価値を生み出せているのか?
答えは「分からない」です。
分からないというと語弊がありますが、売上を評価基準として見たときに実際に生み出している価値を絶対値として数字に表すことができないからです。あくまで広告費用などを概算値で算出することでしか判断することができないのです。
例として実務に従事しているアスリートが年収400万だと仮定して単純に売上で利益を見いだせているか考えるとしましょう。業種が有形商材で利益率20%の場合、その選手は年間2000万以上の売り上げを出さないと雇用されている上では赤字になります。
プラスで合宿や遠征費、治療、大会費などのラーニングコスト合わせれば、実質かかる費用はさらにかさみます。
企業広告としての価値、実務で生み出している価値、選手が従事することによって生まれる社員の士気向上などは単純な売上ベースでは測ることができません。
評価者・評価基準は様々であり、社長かもしれないし、会社の上層部かもしれないし、選手のことを見ている一般の社員かもしれない、応援しているファンかもしれない、それだけアスリートの価値というのは曖昧かつ無形で抽象的で表すことが難しいのです。
だからこそ、アスリートの振る舞いや行動は上記のような背景があることを念頭に入れておく必要があると考えます。
多様化する実業団雇用の種類
近年実業団雇用の活性化が進み新たな雇用システムも目立つようになってきました。
実業団選手と一括りにまとめても雇用条件は千差万別です。
①完全に競技に専念できる企業
主な代表企業:富士通、旭化成、トヨタ自動車等
主な業種:大手IT、大手運送、大手製造メーカーが多い
- メリット:競技に集中できる環境がある。
- デメリット:仕事に従事していない分、理解が得られない場合やセカンドキャリアで会社に残れない場合が多い。
②一部社業に従事しつつ、時短で勤務
主な代表企業:コモディイイダ、サンベルクス、プレス工業等
主な業種:小売、製造部品メーカーが多い
- メリット:引退してからもスムーズに社業に専念できる。キャリア形成も社内で担保しつつ競技ができる。
- デメリット:競技の時間を十分に取れない場合がある。
③フルタイムで働きながら競技
主な代表企業:新電元工業など
主な業種:公務員関係(警視庁や自衛隊などで見られることもある)
- メリット:通常社業+αで競技しているので会社での理解が得られないことがない。
- デメリット:競技に費やす時間は少なくなる。
ここに近年の実業団システムの活性化により下記も多くなってきています。
④プロ契約型
大迫傑選手がGMOで参画、サンベルクスの吉田響選手やSGH、ひらまつ病院でも一部こういった何年単位での契約スタイルを取っています。
- メリット:企業・選手が短期で契約ができる。
- デメリット:選手側がすぐに切られる可能性がある。報酬やインセンティブの設定が曖昧。
⑤クラブ・企業合同型
奈良の女子実業団チームでNARA-X(ナラックス)というチームがあります。
面白いのは駅伝には参入せず、が手は各々の企業でフルタイム勤務をしており、決まった曜日だけ集まって練習をするクラブ・企業合同型の実業団チームです。
あとは市民ランナーのクラブ型チームだと東北のK‐projectや関東の中島怜利選手率いるTRIGGERアスリートクラブがあります。
プラスαで新しい指導形態
さらに指導形態も多様化が進んでいます。
大学拠点型
企業所属で大学拠点・大学指導者の元で指導を受けるスタイル。
- メリット:選手の指導・練習環境を変えずに指導ができる。
- デメリット:企業側の柔軟な理解が必要。大手企業でしか対応できない。実業団の指導者のいる意味がなくなる。
例:平林清澄選手(ロジスティード)、吉田祐也選手(GMO)、三浦龍司(SUBARU)等
この指導型については選手の環境変化のストレスを軽減できるので非常に素晴らしい指導型だと思うのですが、実業団指導者の役割が果たせているのかという疑問は残ります。
このあたりは青山学院大学の原晋さんの実業団チームへの送り出し方からも感じ取れると思っていて有望な選手の芽を摘んでしまわないように大学の指導者の目の届くところで育成したい、連携の取れる実業団で育成したい思いが少なからずあるのではないかと考えています。
*例:顕著なところで挙げると青山学院大学からGMO、SGHへ進む選手が多い。
指導委託型
TWOLAPSが現在進行系で行なっている指導形態です。選手は企業に所属したまま、選手指導をTWOLAPSに委託するシステム。
- メリット:選手が指導を受けたい指導者を選択できる。企業が指導者を雇用しなくても済むようになる。
- デメリット:企業側に指導者がいる場合、プラスで指導料を払っていることになっている。選手が伸びない場合、指導委託の意味がなくなってしまい、依頼企業のコストがかさむ。
*TWOLAPSで指導を受けているわらべや日洋のヒリアー 紗璃苗選手や独立した田母神一喜選手の実例は企業で指導者を設けていないのでよい事例と考えています。
指導スタイルとしては海外の指導者スタイルの型に近いです。こちらは今度どのように発展していくか非常に面白い取り組みだと思っており、行く末を見守りたいと思います。
実業団市場が活性化する中で移籍が活発なのはミスマッチもある
近年、実業団市場の雇用形態が活性化されてきた中で移籍も柔軟化されてきました。皆さんも引退・退部・移籍報道が多いと感じているのは間違いではありません。
なぜなら、実業団の移籍システムは2024年の1月1日まで制約の厳しいルールが設けられていたためです。
実業団における移籍ルールは、長年「選手の引き抜き防止」や「企業の投資保護」を理由に非常に厳しい制限がありました。近年、スポーツ庁の指針や社会情勢の変化を受けて劇的に緩和されました。
「ルールの詳細」と「解禁時期」については下記になります。
以前の厳しいルール
以前は、日本実業団陸上競技連合の規程により、**「前所属先の承諾書」**がない限り、移籍後すぐに試合に出ることはできませんでした。
- 1年間の出場停止: 前所属企業から「承諾書(移籍を認めますという書類)」が出ない場合、移籍した選手は丸1年間、連盟主催の大会(ニューイヤー駅伝や全日本実業団対抗陸上など)に出場できませんでした。
- 実質的な「縛り」: 承諾書が出ないケースも多く、選手が全盛期の1年を棒に振るリスクを負わなければならず、事実上の移籍制限として機能していました。
ルール改正のタイミングと内容
この「1年間出場停止」というルールは、独占禁止法違反の可能性やアスリートの職業選択の自由を侵害しているとの批判を受け、2024年1月1日に事実上の撤廃・大幅緩和となりました。
- 出場停止の原則撤廃: 前所属先の承諾がなくても、原則として移籍直後から大会に出場できるようになりました。
- 承諾書制度の廃止: 従来の「承諾書」という形式から、移籍の手続きを簡素化。
- 円満移籍の推奨: 依然として「マナー」としての事前協議は求められますが、不当に選手を拘束することはできなくなりました。
ルール変遷のまとめ
| 項目 | 以前(2023年末まで) | 現在(2024年1月〜) |
| 移籍の前提 | 前所属企業の「承諾書」が必須 | 承諾書は不要 |
| 不承諾時のペナルティ | 1年間の出場停止 | 原則なし |
| 実態 | 移籍は極めて稀(引退後の移籍など) | 有力選手の移籍が活発化 |
なぜこの時期に変わったのか?
背景には、プロ野球やJリーグなどのプロスポーツにおける自由な移籍市場の広まりに加え、スポーツ庁が定めた「スポーツ団体ガバナンスコード」への対応があります。
「企業のもの」という側面が強かった実業団選手が、「個人のキャリア」を優先して環境を選べる時代へと、2024年を境に完全にシフトしたと言えます。直近でも、このルール改正を受けてニューイヤー駅伝を走った直後に他チームへ移籍を発表するケースが増えています。
そのため、近年の実業団に引退・移籍・退部報道が多くなっているのが実情です。
流動性が高くなれば当然、選手と企業のミスマッチも多くなる
先述したようにルール改正があり、実業団の移籍流動性が上がっているわけですが、流動性が高くなれば当然ミスマッチする可能性も高くなります。近年、そのミスマッチも多く見受けられます。
実業団企業の目指すところも様々です。地方の実業団があることによって地元で競技が続けられるメリットがあります。セカンドキャリアも形成しつつ、引退後もスムーズに社業に専念できます。このパターンは非常に定着率がよいと感じています。
- 地元出身選手を積極的に雇用している実業団企業
三菱重工、YKK、HONDA、トヨタ自動車、SUBARU、小森コーポレーション、コモディイイダ、NDソフト、セキノ興産、トヨタ自動車九州、NTT西日本、中国電力、大塚製薬、九電工、トヨタ紡織等々
逆に縁もゆかりも無い地方企業へ実業団就職をした場合、私の肌感覚ですが非常に選手の移籍または引退・退部が多いように感じます。加えて1年以内で引退・移籍がある場合は企業側か選手側に何かしらのミスマッチが起きている可能性が非常に高いでしょう。
実業団を決める中で行き先を選べる選手はそう多くありません。考えられるケースとしては選手側が競技継続の意思があり、受け入れ先が見つからない、企業の練習に参加する機会が少ない、期限ギリギリで大学の指導者等のツテやコネがある企業へ半ば強引に採用してもらうケースもあると思います。
そうすると指導方針や練習環境等にギャップが生まれて早期離職に繋がります。
コモディイイダの会沢監督はこのあたりのチーム内情を隠すことなく赤裸々に発信しています。つい最近だと競歩の強化終了やウルトラマラソンの岡山選手が一般部員になったことを明かしていました。企業ごとの求められている結果・目標や小売業としてスーパーマーケットで従事することの理解を深めており、非常に勉強になります。興味のある方はぜひフォローしてみてください。
何を目指して競技を続けるか?
ここまで実業団雇用システムについてはなしてきましたが、これから実業団選手を目指す大学生は実業団で何がしたいのかを明確にしておく必要があると思います。
大学生までは競技に打ち込める時間があり、期限も4年間と時間が過ぎれば自動で終わりが訪れます。しかし、実業団では終わりが明確になっていません。引退を決められるのが選手自身かもしれませんし、企業に引退勧告をされるかもしれません。
学生ではなくなる以上、社会人として「走ること」=「仕事」で対価をもらうということがどれだけ恵まれているかということを考えるのと同時に終わりが見えていないからこそ目的や目標が曖昧にせず、世界を目指したいのか、ニューイヤー駅伝に出たいのか、走りは続けたいけど地元で就職したいのか、どんな仕事をしたいのかをよく考える必要があるかもしれません。
箱根駅伝が長距離カテゴリーの頂点となっているのは、多くの選手が分かっていると思います。同時に自身がが実業団になるうえでどこまで目指せるのか、多くの選手は振るいにかけられてなんとなく分かっていると思います。目指せると思えなければ、実現できない。ただ漠然とまだ走りたいだけだと自分の首を絞めることになるかもしれません。
「駅伝」がこの多くの雇用を生み出しているのに感謝をしつつ、今後も実業団の活性化が進んでいくことを願っています。

